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・労働者の目 全国で闘う労組青年部運動を! 赤羽 進彦 青年部長 精研労組青年部書記長
・提言! “全国労働組合交流センター” 代表運営委員 ス労自主中央執行委員長 入江 史郎
・国鉄軸に切り開かれた2011年闘争の核心的地平をつかみきり、すべての産別・職場で階級的労働運動の構想と実践を! ――交流センター運動の歴史的飛躍をかけて2・4〜5徳島総会の大成功から3・11大闘争へ 辻川 慎一 事務局長 動労水戸副委員長
・2月徳島刑務所包囲闘争に立とう!星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議 星野 暁子
■闘う合同・一般労組 派遣法体制を撃つショーワの闘い 一般合同労組さいたまユニオン 執行委員長 田畑 典保
JRグリーンスタッフの「雇い止め解雇絶対反対・契約社員制度撤廃」を闘いぬき、国労を甦らせよう
全労働者の未来をかけ、橋下の首切り攻撃を正面から迎え撃とう! 「大阪都構想」は道州制・「復興特区」攻撃、民営化=公務員首切り攻撃だ!
赤田 由行(大阪市職)
労働運動を語る 清野和彦さんに聞く(前編) 元福島県教職員組合委員長 国鉄闘争全国運動呼びかけ人
・ひめじょおん−女性部から 鈴コンのように闘い、職場に団結をつくろう 東京西部ユニオン青年部 奈良 桃子
・読者のページ 西郡決戦と青年部建設の2大方針を決定――関西・第22回総会報告
「99%が1%の強欲と腐敗のために搾取されている。1%の支配を打ち倒そう!」――この言葉は世界中を駆け巡っている。日本においても新自由主義の矛盾が3・11大震災―福島原発事故で爆発し、まさに資本主義の終焉が明らかになった。その中で野田政権がやろうとしていることは、原発の再稼働だ。そして野田政権のいう「復興」とは「ぼろ儲けしてきた大資本が、復興特区でさらにぼろ儲けする」ということだ。はっきりしているのは、資本家も政府も「儲けのためなら労働者がどれだけ死んでも構わない」という立場に立っていることだ。つまり資本家、政府と私たちは非和解的な関係なのだ。そして、この私たちの目の前で起きているこの許しがたい現実は、この資本主義社会の行き着いた、腐敗に満ちたどうしようもない最期の姿だ。
しかし、生存ギリギリの状態にあればあるほど労働者は闘うために労働組合をつくる。実際に、「4・9政治和解」に対して、私たちは国鉄闘争全国運動を柱にして闘いぬき、3・11以降、日本で世界で若者たちが立ち上がった。どんな激しい攻撃や分断をも打ち破り、職場も地域も国境さえも越えて団結して闘う。労働者とはそういうものなのだ。
そのためにも私たちは具体的には自らの地域で労働者が権力を握るような労働組合の拠点をつくり出すことが重要だ。JRを先頭にあらゆる職場から外注化阻止・非正規職撤廃、反原発闘争を闘い、復興特区、TPP攻撃と闘い、大衆闘争を爆発させる。そういう労働運動をつくり出すのだ。その先頭で若者たちが立ち上がるために、2012年の労組交流センターにはさらなる飛躍が問われている。
団結とは、相手と自分が変革するということだ。互いの変革を闘いとる中ではじめてひとつになる。自己変革を怖れていては、団結は決して拡大しない。常に変革し、飛躍に次ぐ飛躍を共に闘いとる。青年労働者が団結するなかに、この社会を変え、原発を止め、非正規職を撤廃できる力がある。2012年は青年労働者の中に労働者としての誇りを甦らせてこの社会、未来を、私たちの手に取り戻す決定的な出発点だ。外注化阻止、非正規職撤廃、全原発廃炉へ全国で闘う青年部運動をつくり出そう。
(写真 昨年9・11新宿反原発デモ)
全国労働組合交流センターは組織労働者の運動体である。労働運動である。
「反連合、反全民労協(=反全労連)」を旗印に始めた、この労働運動は、PKO(自衛隊海外派兵)反対―国鉄分割民営化反対―有事立法反対―郵政民営化反対―教育基本法改悪反対―公務員制度改革反対を貫いて、今、3・11東日本大震災と東電福島第一原発事故の渦中にあって、2003年3・20イラク中東侵略戦争から米軍が撤兵する中で、この先、どこに向かおうとしているのか、何をやろうとしているのか。
何よりもまず、11・6全国労働者集会の総括をきちんとやりぬこう。国鉄・JR産別が、郵政部会が、教労部会が、自治体部会が、各々が責任を持って、その動員結果を、組織方針を、方針の実践を具体的に点検し、総括して欲しい。それも各地産別の寄せ集め報告ではなく、全国一元的に把握して、各産別の全国運営委員会の下で総括して欲しい。動労千葉も130動員を、ス労自主も10動員を、全国労組交流センター傘下の全組織が例外なく、11・6労働者集会の総括作業を完了させて、徳島で行う全国労組交流センター第19回総会の場で具体的に確認し合い、2012年から始める全国労組交流センター組織(改革)方針を決定しようではないか。
11・6集会の課題は、何よりもそれは動労千葉の課題であり、同時に交流センターの課題である。動労千葉と交流センターが一体となって、克服すべき課題である。それは、交流センターが、もっともっと直接に接して動労千葉を知らなければならないし、また、動労千葉も全国労組交流センターの組織運営に、もっと多くの労力を割いてもらわなければ実現しないことだ。
また、昨年8月から、機関誌名を『月刊交流センター』から『月刊労働運動』に名称変更した。機関誌を交流センター会員誌から、全労働者を読者対象にしたものに変えようという試みだ。動労千葉委員長・田中康宏代表運営委員の発案である。
しからば交流センター組織も今までのまま、というわけにはいかないだろう。そこで提言である。全国労組交流センターを単組(あるいは単組支部や単組分会)と各産別に組織された集団(それを部会というかにはこだわらない)を基本軸にした労働運動組織に改造できないだろうか。
従来の交流センターは、全国の各地、各地域の交流センターを基礎とした、また、その地区・地域組織の主体性に委ねる傾向の強い、「寄せ集め」の運動体であって、動労千葉がその上に曖昧に乗せられているような運動実体であったと思う。その曖昧さが交流センタ
ーの主体性、責任性を曖昧にさせてきて、全国労組交流センターの持っている、その労働者の団結体としての組織力を、充分に発揮できないものにしてきたのではないだろうか。
1年間かけて議論し尽くして、交流センタ
ーを組織改造した上で、2013年総会で規約改訂をしたいと考えている。第19回総会で、この提言を徹底的に叩いてもらいたい。(もちろん簡単に引き下がるつもりはないが。)
4・9政治和解との対決が3・11情勢に勝ちぬけた根幹
昨年の闘いを総括する場合に、2010年4・9政治和解がターニングポイントだったことをあらためてはっきりさせる必要がある。日本の労働運動のターニングポイントで決定的だったのは75年スト権ストだ。日本帝国主義が明らかにピンチに陥った74−75年恐慌下で日本の労働運動、とりわけ左翼的労働運動、総評労働運動がどういう道を進むのかがポイントになった。その中で明確に舵を切ったのが動労本部の革マルだ。スト権スト敗北をもって先頭を切って舵を切っていった。
そして今、金融大恐慌と世界史的激動が始まり、日本労働運動は新たなターニングポイントを迎えた。金融大恐慌情勢が民主党・連合政権を生みだした。従来の政治委員会・自民党だと対応できない。労働者が問題になるわけで、労働者に軸足を置いた政権にしないとこの危機をのりきれないということだった。その中で、国鉄闘争が終わっていない状況にケリをつけないといけない。そこで4・9政治和解が出てきた。左翼的労働運動を国鉄1047名闘争を解体することで最後的に解体して日帝の危機を救済するという構造だ。4・9はそうした明確な意志を持ってやられた。
この4・9政治和解に対して、動労千葉が大変な事態だということで、国鉄闘争全国運動を立ち上げ、国鉄闘争解体の流れを全国運動的な闘いで押し返す闘いをやったことが決定的だった。そしてこれが昨年の3・11大震災・原発事故を階級的な問題だと喝破し、軸をぶれさせないで立ち上がれる素地をつくった。動労千葉声明で労働組合を軸に闘おうとメッセージが出され、そのことを被災地はじめ全国が即座に受け止めて立ち上がったこと自体がすごいことだった。国鉄闘争全国運動で大恐慌の時代に労働組合をめぐる闘争が核心なんだとはっきりさせてきたところで、昨年の3・11情勢を迎え撃つことができたことが決定的だった。
だからこそ2011年の闘争で労働組合の闘いの決定的重要性があらためてはっきりした。
3・11以後、今現在の展開はまさにいわゆるショック・ドクトリンの展開そのものだ。大震災や労働者大衆の悲惨な事件をタテにそれすらも食い物にして資本の金儲けにしていく。労働者、中間層、中小商工主をこれ幸いと叩きつぶして労働者階級の団結や労働組合を徹底的に破壊して、新自由主義の新たな市場にしていく攻撃が吹き荒れている。この中で仙台市職労でも、動労水戸でも、震災・原発事故との闘いが決定的だった。労働組合として事故との闘いや仲間を守る闘いを震災のさなかでもう一回はっきりさせて闘争しだしたことはものすごく重要なことだった。
一昨年の動労千葉や動労水戸の闘争、関生の産業ゼネストなど、ものすごい闘争の地平がある中で、3・11を受けてここでひるんでしまうのではなくて、労働組合をめぐって、新自由主義、震災を利用した労働者階級に対する攻撃と大衆に対する攻撃を労働者だけが利害関係ぬきに闘争しえることを示した。
この2年間、大恐慌情勢の中で、労働運動全体が総崩れどころか、労働者階級に対する攻撃を労働組合がやるという状況の中で、郵政非正規ユニオンの闘争や、「非正規問題は国鉄と原発が規定し、労働組合が問題の核心にあり、階級的に団結して闘争しなかったら非正規も原発問題も解決できない」とはっきりさせながら青年・学生を獲得して11月集会まで来たこともすごく決定的なことだった。
3・11情勢の中でこの1年、階級的労働運動路線の有効性、正しさをつかみとったことが11月集会を総括する場合にも一番大事なことだと思う。
忘れてならないのは、動労千葉、水戸の闘いに加えて、国労をめぐる闘いだ。特に5・27国労臨大闘争弾圧裁判闘争の勝利はでかい。5・27闘争は、国労組合員が分割・民営化とは何だったのかをめぐって本部と闘争をして逮捕をされて完全黙秘・非転向で頑張り、裁判でも自分たちが分割・民営化の中でどう闘ってどう思ってどう生きているのかを国鉄労働者としての誇りにおいて貫いてきた。松田一派と決別した後、完全に路線が変わったわけでしょ。暴力をふるった・ふるわないだのへったくれだのの事実関係問題が核心ではなくて、なぜ自分たちはこうやって国労の本部を弾劾したのかをがんがん展開して、それが裁判長をも獲得してしまう。だから分割・民営化と闘って国労の旗を守って何をやられても頑張ってきたことの獲得性とすごさを5・27闘争ははっきりさせたんだよね。だから今の4・9情勢に対する決定的な回答として5・27闘争の勝利的貫徹があるわけだ。
それと4・9政治和解に対する国労組合員4人の決起だ。分割・民営化に対する労働者としての一念じゃないですか。
これらが実は4・9に対する核心的対決構造をなしているんだ。
水戸でも国労の一現場労働者がどんどんやめている。嫌になっちゃって。当たり前だよね。俺は本当にくやしい思いがしてね。結局、1047名の切り捨てだけじゃなくて現場の一労働者として国労として頑張ってきた人間を切り捨てたんだよ。そういう意味では、自分たちの国鉄労働者としての誇りとか国労組合員としての貫き通してきた矜持だとかを武器にすることなしには平成採を獲得することもできないと思う。
だからまずそこで5・27闘争とか和解拒否の4人を柱に、自分たちがやっぱり絶対に明け渡さない、そこを土台に置いて階級的労働運動路線を据えることが重要だと思うんですよ。だから国鉄決戦といった場合、全国運動があり、動労千葉があって動労水戸があるんだけど、国労こそが階級的労働運動の激突点としてあるということを外してはならない。
他方で11月集会はなぜ微増なのかという問題をそれはそれとして対象化しなきゃいけないということがある。9・19に6万も集まって、その勢いで11月集会も行くとはならなかった。田中委員長は「力の正当な反映だ」と言っていたが、
これを総括するのはいくつかあると思う。
僕なんかこの2〜3年間でものすごいステップを踏みながら最後は青年の獲得に打って出ようと勝負かけて、今年も3・11をそれをもこちら側から「逆ショック・ドクトリン」じゃないけれど逆バネにして口先だけではなくて徹底的に青年を守る闘いに転じた。被災地と青年を守る闘いは震災直後から貫徹してきた。3・11でこれで一気に行くぞみたいな感じで勝負をかけた。しかし、結果、動労水戸に結集したのは一人でしょ。で、11月集会も微増だよね。これは何だと。そうすると、ひとつは、この結果の一人がすごいんだよなというさ。よくよく考えてみると、そんなに一気に来るわけがないよなって。これだけ階級解体攻撃ががんがんかけられて、分割・民営化−総評解散以来24年間、まともな労働組合がなくなり、ストライキさえ経験したことがない、団結という言葉もわからない、労働組合が悪であると言われてきた中で、動労千葉にしろ水戸にしろ、11月集会そのものも権力とガチンコの勢力だ。他の勢力と違う。そこに簡単に来るわけない。本気で体制と激突している勢力だという、この大変さだ。
だから3・11情勢の中で、われわれが階級的労働運動路線をまだ最先端ながらも貫いてそれで国家権力を打倒するといっている、その勢力に青年が来たということが堤防決壊の一穴だと思うんだ。
微増ということの中身が去年とはまた違う。この情勢の中での微増ということについては圧倒的に可能性のある微増だと思う。
むしろ、そうやって勝ちとったことをちゃんと総括しきれるかどうかなんだ。
総括の軸は国鉄だというのも、ここがまぎれもなく新自由主義との攻防の最前線だからだ。JR資本は、明らかにショック・ドクトリンの最先端をいって震災と原発事故の日帝の救済者として動いている。新自由主義社会の全面化だって分割・民営化から始まっているんだから。
だから別に動労千葉や動労水戸は威張っているわけではなくて、最先端の闘い、階級的労働運動とは何なのかを示すつもりでやってきた。自分が通用しないのにみんなのことを引っ張るわけにはいかないわけだからさ。そうやって切り開いたものを軸に、では自分のところはどうだったのかと考え抜く。そういう総括なんだと思うんだよね。
闘争の総括は、ここで絶対に勝たなければならないという問題と、そこを軸に自分のところはどうなのかとやっていく問題だ。自分のところがどうなのかという総括だって、階級的団結のために自分のところをどう位置づけるのか。別にやれたか・やれないかなんてことだけではなくて、階級的前進のために自分の職場や産別で何ができて何ができなかったのかを考えぬくということだと思うんだよ。
それを総括できないで、なんかこう小手先みたいなことでうまく行くとはあんまり思わない方がいい。激突しぬきながらじりじり前進してきたということの核心をもっとちゃんとつかもうということだ。
もうひとつは、われわれの力量、階級的労働運動を展開していく能力は、2011年的には他潮流を圧倒したと思っている。
昔は職場闘争は協会派の専売特許だった。今考えると協会派の職場闘争は戦闘的なふりをして資本と共存していく、最後は資本との関係の枠内に労働者を流し込むための疑似戦闘性でしかなかったことははっきりするんだけど。でも、彼らがパイオニアだったのは間違いない。ところが資本主義の危機に対してはそれをチャンスだと捉えて激烈に闘えたのは関生や動労千葉のみだった。今や大恐慌−3・11情勢の中で、職場闘争は結局、階級的にしか展開できないことがはっきりした。階級的に闘うということは何か目先の利益ではなくて、労働者階級として団結する、階級として物事を捉えていくということだ。
動労水戸の被曝車両稼働阻止闘争は、動労水戸の組合員だけではなくて職場の仲間全体の闘いとなり、職場の仲間全体というとJRの労働者だけではなくて下請けだろうと、関連会社の人だろうと、その人たちの利益のために闘うという闘いだった。自分たちの賃上げだけではなくて、労働者はもちろん周辺住民や乗客を守るためにストライキをやることは正しいという反応が圧倒的に返ってきた。階級的に闘うことが支持されるということを非常に示した。
その点で原発問題はすごくわかりやすい。原発のことで事故や汚染車両、被曝労働の問題と闘うときに、関係ない人はほとんどいない。そのことをめぐってみんなの利益のために闘う。しかし、こうした闘いが実際に結局は動労水戸にしかできないというさ。
動労千葉だって外注化の問題を千葉だけの問題として闘っているのではなくて外注化・非正規化は社会的な問題だと捉えて闘った。非正規職撤廃のためには外注化を阻止する闘いが階級的闘いなんだと。田中さんから聞いたけど、外注化って動労千葉の組合員は自分たちはあんまり関係ねえんだよ。だけど、千葉の組合員が「俺たちは外注化反対という崇高な闘争をやっている」と言っていると。自分たちの直接のためではなくて社会的にぜんぶ非正規や低賃金に追い込まれていることを絶対に自分たちが許さないということだよね。JRが先端攻防でそれだけで激烈であるにもかかわらず、外注化阻止の闘いをやることに対してすごい自分たちの喜び、使命を感じている。だから職場闘争ができるわけだ。千葉の組合員は自分たちの利益よりも、あえていうとものすごい真剣になって闘う。動労水戸もそうだ。だから資本主義の最末期的な危機の中ですべての指導勢力が一切何もできないときに、なぜ動労千葉や動労水戸が闘えるかというと、階級的利益のために闘っているからだ。こうした状況に本心から怒って闘争できることをはっきりさせた。
階級的団結のために闘う。階級的利益のために闘う。そこから全大衆の利益のために闘うことができる。それが全人民的獲得性がある。ということをはっきりさせた点で、われわれが戦後労働運動の限界を突破して、昨年1年展開しきった。このつかみとった地平を徹底的に全体でやる、というところに課題があると思う。
だからやってきたことが間違っていたという問題ではなくて、相当いい線やってその先端で国鉄闘争が闘争しきって、日本階級闘争の戦後的限界、既成指導部によって押し込まれてきた課題を突破してきたことがすごく大事な総括だと思っている。
課題は、ちゃんと階級的労働運動を職場において闘えるかだ。資本との攻防の最前線のここからみんな召還するわけだ。いろいろなことを言ってごまかすわけだ。資本と激突しないようにするわけでしょ。資本はこのかん連合や革マルや社民に依拠して全然抵抗ないところでやってきたから本質的にはいい加減でモロい。本気になって団結して闘争したら資本なんてどうしようもない。千葉もそうだし、水戸の組合員も「本当にあいつらだらしねえ、ダメだな」って呑んじゃっている。水戸に来た青年だって、来たばっかりなのに、「どうしようもない会社だ。無責任きわまりない」ってもう圧倒しちゃっている。
(写真 昨年11・6労働者集会後のデモに立つ動労水戸の隊列)
そのうえでひとつ付け加えると、階級的に闘うというのは戦術主義とは無縁なんだよね。絶対的戦術なんてないんだよな。実に臨機応変でさ。別に戦術だけエスカレートしたって、団結に結びつかないことはあるわけだし。敵との均衡状態を求めて均衡しない場合に限りなくエスカレートしていくみたいな戦術主義は問題にもならない。
その背景には、資本との攻防について、資本や既成勢力などによる諸反動について甘く考える傾向があるということだと思う。甘く考えるということは日和見主義なんだ。資本は最末期でのたうち回ってボロボロでだらしないところいっぱいなんだけど、だからこそ生き延びるためにむちゃくちゃ必死だ。
中間層だってそれは叩き落とされるわけだ。首くくるか夜逃げするか、人を食い物にするかとか。そのとき必死になって今の体制にしがみついて生き残ろうとしている部分に対しては、プロレタリアートの半端な闘争ではなくて断固たる闘争が求められている。それのみが、叩き落とされざるをえない人たちをも獲得するという構造を生み出すわけだ。
だからその諸反動を軽く見て、こうやればいいんだみたいな物知り顔でやった場合、とんでもないしっぺ返しが来る。本質的にはわれわれ労働者階級の時代なんだけど、絶対に資本とか反動とかの闘争について甘く見ない。甘く見ないということは、さしてこちらが組織とか団結も形成されていないのに、戦術だけエスカレートするというようなことだと勝てないんだ。真剣に打倒しないといけないんだ、真剣に。なのに資本と労働者は非和解なんだということだけを持ち出して、何か大した力もないのにどんどんどんどんやっちまって、結局、そういうことをやって誰も回りにいなくなっちゃうというようなことはダメなんだ。
職場闘争が決定的なんだけれど、労働組合を甦らせる闘いについて真剣に闘うということがもうひとつ大事だと思うんだ。
こうしたことは、なぜ従来の左翼がダメなのかという問題と通底している。最近、1%のために99%云々とよく言う。でも資本主義というのはそう単純な構造ではない。1%のためにかなり膨大な、プロレタリアートを支配する国家とか官僚の中間機構がある。プロレタリアートを細かくタテヨコに分断してそこから官吏を登用して支配している。
3・11以後、資本は被災地を新たな市場にある種の「特需」をつくっている。勝田でも外国人労働者を原発に大量に集めているという話がある。でも食うや食わずの建築関係の中小企業などはその「特需」で生き延びている。そういう人たちにすると原発は危ないなんてこと言う連中は叩きつぶさなきゃいけないという関係だ。だから新自由主義攻撃とは単純に資本が食い物にするということだけではなくて、そのあいだに食うや食わずの競争状態に叩き込んで、ある種の生存をかけた競争をさせる。そこに労働者が立ちはだかって危険を暴いたり闘争をしたら激烈に反発し抵抗する。こういう関係の中で展開されていく。だからそんな単純なことではない。
なのに、社会からブルジョワジーをぶっとばせばいいと単純化すると、1%の支配階級の代わりに「党」を持ってくる。これがスターリン主義だ。労働者を支配する中間層をそのまま置いておいて、ブルジョワジーの代わりに「党」がすげ替わるだけだ。
あるいは、生きた労働者大衆がいるときに、ひとつの結論だとか社会主義の考え方にしろマルクスの考え方にせよ自分流のマルクス主義があったり社会主義があって、そこから現実の労働者大衆を規定するというあり方。これがセクト、宗派だ。結論が先にあるんだよ。
そういうあり方に対して、マルクス主義者は本当は人間関係論だと思うんだ。資本家に対してだって俺は労働者階級と同じように正対すべきだと思うし、正対して根本からおまえらダメだということを突きつける。
現実の労働者はいろいろなものに支配されているからけっこう議論したり説得するのは大変だ。闘争するときも大変なんだけれども、そこで本当に労働者大衆を階級として獲得するかどうかと正対したところからしか獲得できない。実はそこが一番困難なわけでしょ。
とにかく、別のものをもってくるのではなくて、職場の労働者と正対して、敵との関係で職場の労働者のために不屈に階級的に呼吸し働きかける、そういう運動。そういうことをやりぬけるリーダーをつくりだすということが大事なんだと思う。職場から召還しないというのは現場労働者から絶対に召還しないということでしょう。
実はランク&ファイルって最初よくわからなかったんだよ。なんで現場労働者なんだって。今年非常によくわかったんだ。動労水戸の組合員は、結局会社側にいかないで、動労水戸の組合員で残ったでしょ。同期のやつで動労水戸に来なかったやつはみんな課長だとか助役だとか現場長になっている。うちの連中はその道を拒否して一番最低職員だったりするんだけど、現場に残っている40、50代の労働者は国労と動労水戸なんだよ。だから簡単な話、動労水戸の組合員は現場労働者を選んだ。国労も現場労働者を選んだはずなんだけど、その現場労働者を国労は4・9和解の中で切り捨てようとしている。ここが大変なことなんだ。
2012年の闘いは、11月集会の国鉄・非正規職撤廃、反原発の柱を引き継いで発展させていくということだ。
本質的に革命が問題になってきている。TPPと消費税大増税を野田が掲げている。これは、ヨーロッパでキリシャ、イタリアが破綻し、最も深刻なのはアメリカで、要するに日本の国債が暴落したら世界金融恐慌の発信地に日本がなり、連鎖的に大恐慌情勢に突入するというところから起こっている。日本は、消費税を上げるから日本の国債に対する攻撃をやらないでくれと懇願している。TPPに入らなかったらアメリカに切られて国際的に孤立させられる。昔のABCD包囲網みたいなものだよな。要するに日帝叩きだ。TPPに入らなくたってアメリカに叩かれ、入ってもアメリカにくびり殺される。では日本は単独でできるのかといったら日米安保があり在日米軍の存在がある。日帝は米軍のトモダチ作戦で震撼した。軍事行動による制圧を目の前でやられた。あれは間違いなく対日争闘戦だ。軍事的にも蹂躙して経済的にもTPPで蹂躙する。アメリカが生き残るためには何でもやるという時代に入った。日帝的には、もうどうしようもない状態に入ったわけですよ。
考えないといけないのは、では僕らがその日帝を打倒するということは何を意味するのか。世界恐慌の発信地になるか世界革命の発信地になるかという状態が来ている。
そうすると、国際連帯といってもまだ氷山の一角だけど、でもILWUが来て、民主労総が来ている。国際連帯は、まじで革命を考えるんだったら死活をかけた闘いだ。本当に日本で革命寸前まで行ったら日本の労働者階級の戦闘的な部分はアメリカにくびり殺されるかもしれない。そのとき、アメリカの戦闘的労働組合がつながっている、世界の労働者階級とつながっていることが世界恐慌と世界戦争危機に対するわれわれの生命線なわけだ。
そういう時代の中で、日本は、国際関係からも核武装衝動からも何としても原発が離せない。だから労働者大衆の反原発、脱原発の叫びとは非和解的になる。この闘いの勝利はプロレタリアートとブルジョワジーの関係、本質的非和解性の関係を根底に据える以外に勝ちとれない。そうでなかったら放射能に対する怒りも貫けないわけだから。
その中で2・4〜5第19回定期全国総会の徳島開催自体が、今の情勢に対するわれわれの一個の回答だ。
労働者が団結して闘争したときに、それを無期懲役のえん罪で押し止めるという構造を放置しておいて労働者階級が立ち上がれるのかということです。革マルの襲撃と破防法、そして星野さんに対する死刑−無期懲役というのは70年安保・沖縄闘争に対する最大の反革命です。その反革命をぶち破るのも階級的団結なんだ。それを貫くということだ。
そして日米安保同盟とは本質的に争闘戦的対立を秘めながら沖縄をめぐって日米双方が激突していく構造をもっているとやっぱり見るべきだと思う。何とか5・15体制の枠内に沖縄の労働者大衆、県民を押さえつけようとするわけだけど、それは必ず破産する。安保・沖縄闘争に対する根本的回答も階級的闘いしかないし、国際連帯しかない。復帰40年をどう闘うかをめぐって星野闘争を闘う。
2月総会は3・11をどう迎えるかの闘いでもある。11月集会の地平をうけて階級的労働運動を全産別・職場で根本から新たに開始していることの集約と、そこからまた猛然と2012年前半戦を開始していく跳躍台だ。それなしには3・11の本当の勝利もない。
野田政権の「事故収束」「低線量被曝影響なし」の攻撃で、3・11郡山開催の反原発フクシマ集会は一大決戦になった。3・11に向けて路線的にどう切り開きながら行くのか、われわれの切り開き方が問題だ。福島との連帯の問題だけど、JR郡山工場の闘争が決定的だ。国労郡山工場支部がこの原発問題、放射能問題で、一皮むけて団結して闘争し得るかどうか。郡山工場全体の青年や40%を占めるという外注労働者も含めてその人たちの利益全体のために工場支部が闘えるのかどうかがポイントだ。動労水戸としても、水戸支社の車両はぜんぶ郡山工場で検査しているという問題からも国労郡山工場支部と連帯して、実際には除染なんかできないけど、線量を下げろと動労水戸のサイドからもぶちあげて叩いていく。戦略的に郡山工場との連帯をかけてやることを考えている。
いずれにせよ自分たち交流センター派の拠点で闘うことなしに、福島連帯とか戦闘的労組の防衛とかありえない。だから福島のっかりではなくて自分たちの職場で闘って自分たちが階級的団結をかけて闘争をする中で3・11を迎えようということだ。
入江代表から組織改革問題が提起されている。まずは入江代表が本気になって交流センターを組織としてつくろうという意欲というか、まだみんなにそれが欠けているという意味での活として受け止めることだ。
その中でやっぱり自分のところでどう階級的労働運動を闘うかが核心だと思う。交流センターがもっと大きな影響力を持ちながら今までの連合や全労連に成り代わって責任を取っていくとすれば今の現状でいいわけがない。当然、それなりの単組が組織的に入ってきたりすることなしにこれ以上の影響力を行使することができないことははっきりしている。
だからこそわれわれは労働者階級、労働者大衆、大きく言うと日本社会に対する責任を階級的に取る「社会的存在」になることを、今の現状がどうであれ、指向しなきゃいけない。ただ職場における階級的闘いや交流センターとしての社会的闘争の責任を果たしていく度合いに応じてしか、闘う労働組合が労働組合として「交流センターでやろう」とはならないだろう。動労水戸のストライキを見て11月集会賛同を決断した労組の話を聞いたけど、そういう端緒的動きは始まっている。郵政非正規ユニオンの闘いや鈴コンの闘いなど階級的に展開する中でしか条件はできない。全体を取りに行くために自分たちのところでもっと闘争しようという関係だと思う。
最後に訴えたいのは、2012年のメインにするのは青年労働者の獲得だ。東京−首都圏だけでも数百の青年の階級的隊列を登場させきるかどうかという勝負だ。
当然そうした闘いの前進の度合いに応じて名称変更がテーマになる。中野さん、佐藤芳夫さんのつくった名前を変えていいのかというのはあるけれど、そろそろ「交流」ということではないだろう。本当に飛躍をかけて「交流」が取れる1年間にして名実共に階級的労働運動のセンターになっていこう。
(12月初旬に行ったインタビュー原稿を編集部の責任で構成したものです)
星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議 星野 暁子
11・27星野全国集会は、600名の参加を得て、階級的労働運動の中軸に星野闘争が据わった集会として、成功を勝ちとることができました。ILWUの「ひとりの痛みはみんなの痛み」の内容を持つ集会として、獄壁による分断を打ち破って、団結を示す集会として大成功したのです。
@「あと2〜3年で、出るつもりでいる」という文昭の決意にみんなが応えてくれたこと、Aそのことを受け止め、体現した6月の全国総会での方針のもとで勝ちとられたこと、B訪米闘争の成果が生かされたこと、C2月徳島刑務所包囲闘争の方針にみんなが応えてくれたこと、そのような中での成功だったと総括しています。そして、労組交流センターが、徳島での2月総会を決定して下さったことに心から感謝しています。
昨年7月、私たちは7名で、動労千葉とともに訪米し、スティーブ・ゼルツァーさん、鳥居和美さんご夫婦が主催するレイバー・フェスタの一環として、星野集会(「労働組合と政治犯―ホシノからムミアへ」)と絵画展(「正義のための闘い―星野アートショー」)を開催しました。星野の闘いは感動を持って受け止められました。日本に37年間も屈服せずに闘っている政治犯がいることは、大きな驚きと共感を呼んだのです。アメリカの労働組合運動が、犠牲者を大切にしてきている伝統、黒人解放運動を労働組合が取り組んできていること、動労千葉の国際連帯の進展、そうしたことを背景にした中での出会いでした。ILWUが無実の黒人死刑囚のムミア・アブ=ジャマルの死刑を阻止するため、西海岸全港湾をストップして処刑を阻止したことも、その伝統の上にあります。アメリカの労働者に星野のことが熱く伝わったことで、星野を世界の星野として闘う大きな勇気をもらいました。また、11月の交流を通して、民主労総ソウル本部の要請に応えて、ハングル版署名用紙を送りました。
そして、11月8日、スティーブさんと和美さんは、会うことは不許可にされましたが徳島まで文昭の面会に来てくれました。さらには、11月28日、11・27星野全国集会との連帯行動として、12人で、サンフランシスコの日本領事館への星野解放を求める申し入れを行なってくれました。「アメリカの沖縄米軍基地に反対して闘ってデッチあげられた星野の解放は、自分たちの問題である」とスティーブは言います。これは、あらためて重要な提起です。1971年ベトナム戦争の只中、沖縄米軍基地からベトナムに向けて、爆弾機が毎日のように飛んでいたのです。それを阻止するために立ち上がったがゆえに、デッチあげられ無期懲役刑をかけられている星野を解放する闘いは、戦争に反対するすべての日本人の問題ではないか、また世界中の問題ではないかと問われているのです。1971年11・
14沖縄返還協定批准阻止闘争は、沖縄を核と基地の島として固定する基地の再編強化に反対する闘いでした。裏切られた返還内容に怒る沖縄の労働者人民の11・10全島ゼネストに対する連帯行動でした。
(「ILWU(国際港湾倉庫労組)とトラック運転手の労働組合への破壊攻撃を止めろ」。オキュパイ運動のピケットラインによって封鎖された米オークランド港【12月12日】)
37年間、星野文昭は闘う労働者人民との連帯をかけて闘ってきました。新自由主義のもと、世界中の人々が立ち上がっています。日本では、フクシマの原発事故があり、生死が問われる状況の中で、さらに労働者人民に犠牲を強いる野田政権と東京電力に対し、人生をかけた闘いがまきおこっています。これら現在の闘いの分断と見せしめのためかけられている星野への無期攻撃に対する闘いを階級的労働運動の中軸にすえて闘うことは、さらなる「99%」の労働者人民との豊かな団結をつくりだすと、私は確信しています。それができる情勢が訪れているのです。
12月12日、アメリカで闘われたオキュパイ運動は、穀物輸出ターミナルをつくり、ILWUローカル21の管轄権を奪うとんでもない攻撃に対して、組合員でもない青年労働者が休みをとって「ひとりの痛みはみんなの痛み」の実践として立ち上がる形で行われました。ILWU本部の妨害を打ち破って、ローカル21のためにロングビューの小さな町に1万人が結集し、一晩すべての西海岸港湾の輸送をストップさせたのです。私たちも、動労千葉とともに12日、伊藤忠への抗議闘争に立ち上がりました。こうした運動は、日本でも必ずできると思うのです。三里塚の闘いがあり、動労千葉の闘いがあり、星野文昭の闘いがあります。自己解放にみちたアメリカのオキュパイ運動のゼネラル・アッセンブリー(みんなで集まって討論し、すべてをみんなで決める)に学ぶ必要があります。
今、徳島刑務所は、星野が獄中にありながら私と結びつき、そして多くの労働者人民と生き生きと交流することを妨害するために、日常細部にわたる弾圧をかけてきています。私の手紙を5回にわたって黒塗りにしてきました。抗議して国賠を始めると、今度は、文昭の私への手紙の字数制限をしてきました。便箋一枚に600字書いているから400字にしろ等と、規則になっていないことまで言いがかりをつけて書き直しをさせています。そのあいだ一週間、手紙は遅れたままです。獄中と家族・支援を分断し、精神的にも肉体的にも追いつめる攻撃は許せるものではありません。面会制限に走る法務省・徳島刑務所の獄中処遇改悪の方針の下で星野をターゲットにしているのです。獄中37年、なおいっそう闘う労働者人民を心から信頼し、資本家を打倒して、人間が人間らしく生きられる社会をつくる力が闘う労働者人民の中にあることを、寝言の中でも言いながら、みんなを激励することに一切の力をかけている文昭の生き方と人格が、獄外の労働者人民に伝わることを権力は恐れているのです。
星野再審闘争の特色は何か。言うまでもなく第1にそれは、「やっていない」ということです。一貫して無実を主張していることです。第2に、デッチあげられた「共犯者供述」しか証拠がないことです。なかでも中心的なKR供述から「きつね色の男がなぐっており、それは星野さんしかいないので、星野さんだった」という部分が採用されていることです。文昭は、当日水色のブレザーとグレーのズボンをはいていました。きつね色の男は別人なのです。第1次再審請求で最高裁はこの服の色の矛盾を認めましたが、特定は声や後ろ姿で行なったと逃げました。
第3に、第2次再審請求で、証拠開示された中から重要な写真が見つかりました。それは、事件現場後に東急百貨店本店近くで文昭が写っている写真です。持っている鉄パイプに紙がまかれたままで、使用していないことを示しています。事件前の写真と比べ、鉄パイプの長さも太さも同じで、全く同じ鉄パイプであることを新証拠として提出しています。それに対して、検察官は、棄却決定を要求する意見書を提出し、さらには、証拠として採用されていた11月14日当日のテレビニュースの録画ビデオテープのすべてを紛失したと居直っています。民間目撃供述の証拠開示を求めて、弁護団は意見書を準備中です。
2月徳島刑務所包囲行動に全国から集まりましょう。この闘いは、星野文昭を絶対に取り戻すことを、権力に体をはって突きつける闘いであると同時に、労働者階級人民が、「ひとりの痛みはみんなの痛み」として究極の分断を打ち破って、自らを取り戻し、団結を指し示す闘いです。日本の階級闘争の中軸として、動労千葉とともに星野闘争を打ち立て、全労働者人民の決起をつくりだす闘いです。権力にこだわる者にとっては、最も嫌な、しかし、闘う者にとっては、次の闘いの勝利の方針を鮮明にさせる画期的な闘いになるでしょう。文昭も「刑務所が、獄外からも注目されることは、徳島刑務所にとってもいいことだ」と言っています。
無期に屈しない星野文昭の獄中37年の地平は、闘うすべてのみなさんの地平としてあります。文昭は、この37年を無期と対峙しながら、私との対話と闘う労働者人民との団結の力で生きぬき、すべてを奪い返す日々として勝利してきました。そしてこの37年を、文昭は、さまざまな人の中で生きてきました。
ともに渋谷暴動闘争を闘った人、弾圧を受けた人、困難にぶつかった人、この権力がつぶせなかった団結の力を形にするのが、2月徳島刑務所包囲闘争です。思いを闘いとして表現して、11・27を越える、星野と日本のそして世界の労働者人民、すべての政治犯との熱い団結を示す日にしましょう。オキナワ・フクシマ・全世界を結んで、星野文昭と団結し、星野をあと2〜3年で取り戻しましょう。
人間が人間らしく生きられる世界を労働者人民の手で、つくりあげましょう。
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沖縄闘争をたたかい獄中37年、無実の星野文昭さんを直ちに釈放せよ! 獄中弾圧を止めろ!
2月5日 14時開始 16時30分終了予定
主催 全国労働組合交流センター/星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議
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2月3日(金)面会・差し入れ闘争(代表参加)
4日(土)午後 徳島市内街宣
5日(日)午前 徳島市内街宣
■闘う合同・一般労組
12月5日、中央労働委員会にてさいたまユニオン行田分会が闘う、ショーワ不当労働行為救済申立事件の証人審問が行われた。
08年9月のリーマン・ショックによる減産の影響で、ホンダ系自動車部品メーカーのショーワにおいて派遣労働者の中途契約解除(解雇)が大量に行われた。解雇された派遣労働者が、雇用の確保を要求して労働組合を結成し派遣先企業であるショーワに対して団交を申し込んだが、ショーワ資本は、「派遣労働者とは直接の雇用関係にない」ということを理由にユニオンからの団交要求を拒否した。それに対してユニオンは、2度のストライキ、門前闘争などを経て労働委員会に対して不当労働行為救済の申し立てを行った。
2010年6月、埼玉県労働委員会は、「ショーワには(派遣労働者に対する)使用者性はない」として申立そのものを却下した。ユニオンは直ちに中央労働委員会へ再審査請求を出し、5度の調査を経て5日の審問となった。
当日の証人尋問では、契約中途解除という形で解雇された組合員3名が証人として証言。その中で派遣労働者へのフォークリフトの無免許運転強制、派遣元に有給休暇を申し入れてもショーワがそれを取り消していた実態、雇用契約書記載の就業場所以外での作業の強制、指揮命令者以外の社員からの日常的な残業や休日出勤の要請(という名の強制)など、派遣法そのものに違反する内容を日常的に派遣労働者に強制してきた事実を暴き切った。
一方、ショーワ側は総務部長が証人として出席した。主尋問では、契約解除にあたって派遣元企業に1カ月分の金を払っていること(これすらも「十分に時間をとって派遣元に説明しているので金を払う必要はなかった」と言ってのける)からショーワの責任はないと言い、また有給休暇の取り消しについては「お願いをしているだけ」と実質的にショーワが有給休暇を取り消していたことを認めた。
なかでも派遣法制定時に団交の代替として導入した「苦情処理」の欺瞞性が明らかになった。個別派遣契約書に明記されている派遣先(ショーワ)苦情処理担当者が、実は、各派遣会社に対して生産計画を提示し派遣労働者の派遣を要請する担当者だったのだ。これではいくら派遣労働者が苦情を派遣元に言ったとしても、一人でも多くの派遣労働者発注をとりたい派遣元企業が、派遣先に苦情を取り次ぐはずがない。「苦情」を申し立てた瞬間、「打ち切り」を宣言されてしまうからだ。こうして、派遣元企業の労働者支配の形骸化を促進し、派遣先のいいなりで違法・無法状態を創出してきた。苦情処理の制度化が、団体交渉の代替などになりようはずはない。実際、ショーワは「苦情は一件もあがっていません」と言明している。
(写真 地域の反原発デモの先頭に立つ さいたまユニオン【昨年6月11 日 さいたま市】)
労働者派遣法は、1985年6月に中曽根政権下で成立、1986年7月に施行された。同時期85年に女子保護規定撤廃の男女雇用機会均等法が制定、86年に国鉄改革法が施行され、87年国鉄分割・民営化が強行された。
その核心は、74−75年恐慌で行き詰まった資本主義を、新自由主義政策を推し進めることによって突破すること、つまり徹底した民営化(外注化)と労働者の非正規化を推進するものであった。95年の日経連労問研報告で打ち出された「9割の非正規化」という方向性は、その流れにさらに拍車をかけた。
新自由主義の核心は、相対的過剰人口の市場における吸収・排出を、資本の好き勝手にできる政策を進めること、そのためには労働者の9割を非正規職に叩きこみ、団結権を認めないという攻撃だ。派遣法とは、まさにこの攻撃の「実行法」である。
そもそも、団結権、団体交渉権、団体行動権の労働3権とは、現実に生き、生活する労働者の生存権行使以外のなにものでもない。現下の階級情勢は、まさにこの点での攻防なのだ。
だからこそ、派遣労働者が組合を結成し団体交渉を要求する、ストライキで闘うということそのものが、派遣法そのものを撃つ決定的な闘いとなるのだ。
しかし労働運動は、1975年スト権ストの敗北、79年全逓物ダメ闘争とその後の弾圧、そして中曽根政権下での分割・民営化攻撃の中での「ヤミ・カラ」キャンペーンを通して、派遣法に対して反対らしい反対も展開できずに屈服してきた。その結果、自治体職場4割、郵政職場6割の膨大な非正規労働者がつくり出され、生活保護を受けながら教員を続ける労働者が生み出されてきた。
非正規問題、派遣労働者問題と言われるものは、戦後労働運動の問題として、労働組合とはいかにあるべきかの問題として徹底して総括されねばならない。
昨年11月4日に発表された民主・自民・公明3党の派遣法「改正」案では、登録型派遣と製造業派遣の禁止項目が削除された。最末期資本主義のさらなる新自由主義へののめり込みが、ここに現れている。そして、この「骨抜き改正案」を推進したのが連合だ。
現在政府が進めているTPP(環太平洋パートナーシップ協定)や「復興特区」は、資本家どもに労働者の生活・命をすべて差し出せ、という攻撃だ。食料や医療の問題ばかりでなく、労働者の働き方も19世紀の工場法以前に戻せというものだ。「アジア並み」の低賃金で労働者を働かせるために膨大な非正規職をさらに生み出し、そして労働組合を結成させないために現在の派遣法が「維持」されなければならないのだ。
これまで派遣法廃止、非正規職撤廃を真正面から掲げた労働運動は存在しない。派遣労働者が労働組合を結成し、資本に対して団体交渉を要求する闘いは、非正規職撤廃を掲げて外注化阻止を闘う動労千葉の闘いと一体で労働運動史を塗り替える闘いだ。
大震災−大恐慌の深化は、さらに膨大な労働者の解雇、非正規職化を生み出す。労働者の未来をかけ、非正規職撤廃、派遣法廃止に向け、闘おう。
私の入っている東京西部ユニオンは、鈴木コンクリート分会を先頭に解雇撤回・非正規職撤廃を闘っています。鈴コン分会員は「ここで負けるわけにはいかない! 俺たちの闘いに日本の労働者の未来がかかっている!」と組合員を鼓舞し、12月7日早朝社前抗議行動を行いました。
世界大恐慌はとどまるところを知らず、どんどん進んでいます。資本主義は本質的に過剰資本・生産力という矛盾を解決することができません。その危機を乗り切るために80年代から始まった新自由主義は、労働組合をなくして労働者を非正規化する攻撃でした。しかしこうした新自由主義も、世界金融大恐慌という形で矛盾が爆発しています。この情勢下、連合の基幹労連と関西経済連合会が原発再稼働を求める共同声明を発表しました。「原発事故は収束している」という嘘で、命さえ脅かされています。こうしたなかで独身女性の3人に1人が貧困状態におかれています。
鈴木コンクリートの社長は「会社が嫌で文句があるなら辞めたら」と言い放った人間です。しかし、ハンドルを握りミキサー車を動かしているのは労働者です。分会員は「3カ月雇用で非正規の俺たちにも組合をつくれたんだ、青年にできないはずがない!やろう!」と訴えてています。36協定を選挙にしたのも、精勤・皆勤手当廃止の異議申し立ても、解雇された分会長が先頭に立って闘ってきました。「少し時間がかかるかもしれませんが、必ず職場に戻ってきます。働きやすい職場にするために一緒にがんばっていきましょう」という社前闘争での分会長のアピールは、鈴コンで働く労働者の心に届いたと思います。
青年部は「鈴コンのように闘い、職場に団結をつくろう」と立ち上がっています。鍵は、職場での苦闘や悩みを共有していくことだと思います。こうした中で「じゃあ次はこうやろう」という展望も出てくると思うんです。がんばっていきたいと思います!
(写真 鈴コン分会の社前抗議行動【12月7日 東京】)
鈴木コンクリート工業分会の闘い
◇東京都板橋区舟渡にある生コンクリート会社。創業50年以上。
28年前(1982〜83年)、当時あった総評運輸一般の組合を、ス
ト刑事弾圧と2組による組織破壊で解体
◇2009年7月、西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会結成
◇2009年11月4日 組合前三役を使った組合分裂(脱退)攻撃
◇2011年9月14日、精勤・皆勤手当廃止通知。分会はただちに 「即時撤回、釈明」を要求。/20日、分会「田口組合員逝去通 告、および即時解雇撤回・遺族への謝罪要求」
◇2011年9月27日ストライキ・労働委員会調査
◇2011年10月、処分乱発。出勤停止のスト懲戒処分。宮本組合 員解雇
◇2011年11月、内尾分会長をはじめ組合攻撃の解雇攻撃
◇2011年12月22日 鈴コン解雇撤回・労働者総決起集会
11月19日に行われた第11期労働学校基礎講座第8回(テーマ「戦後労働運動史第2回 戦後の反合理化闘争」講師 伊藤晃)の受講生の感想文を紹介します。
今回は戦後の反合理化闘争ということで、戦後どのような合理化がされ、労働者が追いこまれてきたのか学ぶことができた。そもそも「エネルギー源転換」とか、生産の「機械化」とかいう言葉で、いかにも労働者のためにしてきたことという意識をもっていたが、それは大きな勘違いであったと確信できた。今までは人間の手で、力でやってきたことを機械任せにして、不必要になったらすぐに切り捨てる。石炭から石油へエネルギー源が転換し、炭鉱で働く人間は大幅なリストラにあい、ベテランの持つ技術力は奪われ、大量生産化して今まで以上にこき使い、使い捨て、切り捨てをし、労働者の生産を奪うということで、資本家は成り立ってきたんだと思うと、とても腹立たしく感じた。(後略)
生産性運動と合理化は強く結びついていて、これが国民的精神運動として行われていたことに驚いた。人の価値意識を支配するのはとても効果的で、社会全体がこの意識に包み込まれていては、これを変えることは本当に困難だと思った。
でも、具体的にこれと闘う方法は、動労千葉がやってきたように、現場の感覚を大事にして安全を守る運動をすることしかないのかなと思った。(後略)
合理化について。機械VS人間ではないのだと。機械導入を機に、人員削減、労働強化、労働の変質を資本が強制することが合理化なんだと。
そう言われると、医療職場での電カル導入も、本当にまさにそれだとよく分かります。何で必要なのか。現場の誰もが理解できない(メリットすら見えない)のに入れる。しかし、そこにはものすごい労働強化や医療労働の変質が伴っている。労働者が機械に従属するようになって、その先に医療で金儲けできる関係がつくられていく。金にならない医療行為はやらない。患者の話を聞く時間なんてムダでやらない。そのことをもはや問題だとも思わない医療労働者がたくさんつくられていく。そして患者から金を出させることにも抵抗しなくなる。TPPがまかり通る関係は、こうして医療職場のIT化や第三者評価機構による序列化を通してはっきりとつくられてきた先にある(中略)戦後の日本の労働運動の総括というのは、他にあるのでしょうか。特に三池闘争!安保闘争との関連を含めた総括。(中略)労働運動の指導者が労働者を、そして人間をどう見るかが最終的には問題になるのだということは、労働運動にかかわるあらゆる人が肝に銘じておくことだと思いました。
第11期労働学校日程
■基礎講座
1月21日(土) 13:00〜
◆国家について
◆講師 山崎一(社会問題研究家)
■実践講座
2月25日(土) 13:00〜
◆裁判員制度と改憲
◆講師 高山俊吉(弁護士)
■場所
DC会館(JR総武本線「東千葉」駅前)
昨年11月、JR東日本の契約社員(グリーンスタッフ、以下GS)の正社員登用2次試験の合否が通知された。同じ時期、ひとりのGSが命を絶っていたことがわかった。許せないことに、東労組幹部も会社も箝口令をしき、一切真実を語らない。
しかし、彼らが自己保身のために事実を隠蔽し、闇から闇へ葬り去ろうとしていることは間違いであり、許せない。GSは会社の「消耗品」ではない! 血の通った人間だ。
試験に落とされ正社員になれなかったこと、そして会社によって追いつめられたことで、仲間は死ななければならなかったのだということを現場は怒りをもって訴えている! それなのに、一片の謝罪も反省もなく、平然と業務が行われ、新たなGS募集が行われているなどということが許されてよいはずがない。
誰もが自分のこととして考えている。多くのGSが「会社にだまされた」「まじめに働けば正社員になれるのではなかったか」と怒りをもって語ってくれた。上司の機嫌が悪いと理由もなく罵詈雑言を浴びせられ、契約社員だからとパワハラ、セクハラも多い。それでも我慢して正社員と同じようにキツイ仕事をし、終わってから試験のために勉強する。あまりのストレスで病気になった、それでも頑張ってきたのに試験に落とされた、自分の何が悪かったのかと泣きながら話してくれた。
雇い止めは「死刑宣告」と同じだ。会社の利益のためだけに青年の未来を食い物にし、安全や人の命よりも金儲けを優先するJR東日本会社を私たちは絶対に許さない!
いまこそ「雇い止め解雇絶対反対・契約社員制度撤廃」を闘おう。それを勝ちとる力は、職場・生産点で会社と闘うことの中にある。GSの訃報に際し、あらためて自分や家族の命と生活、そして仲間の命と生活を守るため、「労働組合で闘おう」と心から訴えたい。
(写真 昨年11・6労働者集会で登壇した国鉄労働者)
これまで多くの非正規職労働者が泣き寝入りさせられてきた。GSも一年ごとの契約で、「闘えば即雇い止め」という現実がある。
しかし、非正規職労働者の力はその程度のものなのか。絶対に違う。会社の支配は一見盤石に見えても、中身は非常にもろい。なぜか。結局会社は労働者がいなければ成り立たないからだ。そうやって見れば会社の矛盾、契約社員制度の矛盾はいっぱいあるのだ。
なによりGSがいなければ駅業務が成り立たないという現実だ。会社は、建て前では、GSを「社員の補助的業務を行う者」と位置づけているが、現実は全く違う。ここが会社の弱点だ。GSは会社に働かせてもらっているわけじゃない。「働いてやっている」のだ。サービス残業にパワーハラスメント、会社は違法行為のオンパレードではないか。「誰が職場を回しているのか」ハッキリさせてやろう。ひどい労働条件にドンドン声をあげ、仲間と団結して立ち上がろう。そのとき会社の労働者支配は崩壊する。
そして、GSの約8割が「正社員になることを希望」しているにもかかわらず、実際の採用率は2割そこそこというあまりの低さだ。結局「頑張れば正社員になれる」というのはウソで、契約社員制度を会社の利潤をあげるためだけに利用していることが隠しようもなく明らかになったことが会社の矛盾だ。
もはや「5年で雇い止め」に一片の合理性も社会的正義性もない。JR東日本は、2011年度業績予想を発表し、震災の影響で「運輸収入は1989年の会社発足以来過去最低水準となる見通し」だと言っている。そして、「コストダウンにより人件費を155億円減らす」と言うのだ。会社にとって最もコスト削減につながるのは非正規職化だ。正社員の代わりに契約社員を雇う。その契約社員も5年経てばクビにして、新しい契約社員を募集するのだ。
しかし、一方では「コストダウンにグループ社員一丸となって取り組みましょう」と言いながら、役員の報酬は全く減額されていない。経営難の責任を労働者に押しつけて乗り切る、これが「合格率2割」の原因なのだ。もうけ追求のために雇い止めするのは明らかに違法だ。正社員になれないのは、個人の資質の問題でもなければ、法律が守ってくれないからでもない。一切は会社の経営方針、労働者を犠牲にして成り立つような会社のあり方そのものにあるのだ。このことを徹底的に暴露し闘えば勝てる。
さらに外注化の問題がある。JR東日本はいま検査修繕部門から業務の全面外注化に向かっている。駅の多くも外注化しようとしている。すでに新潟では、5年でクビにしたGSの一部に外注会社へ就職の斡旋が始まり、より安い賃金でこき使おうとしている。ここに契約社員制度の悪らつな意図がある。
しかし、駅の外注化が先行して行われてきたJR西日本では、事故問題、安全の崩壊が問題になっている。会社にとって弱点は「偽装請負」の問題だ。駅の外注化は必ず「偽装請負」になる。駅だけ切り離して鉄道は運行できないからだ。会社も「偽装でもよい」「事故が起こってもよい」とは絶対に言えない。これが会社の最大の弱点だ。労働組合の闘いによって、安全を会社に強制させていくことである。
千葉のある民間会社では、青年が労働組合を結成して会社の「偽装請負」を徹底的に追及し、雇い止め解雇を撤回させ、期限を超えて雇用継続を勝ちとった。こうした職場・生産点での日常不断の労働組合運動を土台に、労働委員会や裁判闘争も駆使して闘えば、現場労働者の力で「雇い止め絶対反対・契約社員制度撤廃」は必ず貫けると確信している。
最後に、私たちはこの闘いを「職場から国労を甦らせる闘い」として全力で闘う決意だ。「5年で使い捨て」、こんなデタラメがまかり通っているのは東労組ほか組合幹部が会社と癒着しているからだ。労働組合を現場に取り戻し、団結して闘って絶対に撤廃させよう!
(飯田英貴)
赤田 由行(大阪市職)
11月27日の 大阪市 ・府ダブル選挙後、維新の会の橋下は「政治に介入したなと思う職員には去ってもらう。まず自主退職だ」「民意を無視する職員は市役所から去ってもらう」などと会見において宣言しました。さらに「給与体系も徹底的に見直す」と。
ふざけるな! 何が「民意」なのか! 自分の職場には「こんな選挙を民意とは認めない」と怒っている仲間がいます。そのとおりです。なぜなら、平松も橋下も自治体労働者の削減・解雇推進を推し進め、職場の団結を徹底的に破壊してきた張本人たちだからです。11月27日のダブル選挙そのものが労働運動つぶしであり、労働者にとって「選択肢」など最初からなかったのです。
この結果は平松前市長に対する労働者の怒りでもあります。大恐慌と大失業、新自由主義がつくりだした現実に対する根底的な変革の要求です。今回の選挙で民主党政権に対して叩きつけられた怒りは、間違いなくもう一度橋下・松井に向かいます。
橋下よ! 松井よ! やれるものならやってみろ! 自治体労働者や教育労働者、そしてすべての労働者は、こんな攻撃の前にひるむような存在じゃない! 逆に団結を固めて必ず打倒する。ストライキを打ち抜き、すべての労働者の闘いの軸になって今回の「ダブル選」に対する回答を叩きつけてやりましょう。私たち労働者にはその力があります。
一切の核心は、既成労働組合の指導部が展望を見失い、攻撃の前にひれ伏し、自分たちの身の安全しか考えていないことにあります。今回の選挙をとおしてこの本当の構図が誰の目にも明らかになりました。連合本部や全労連本部を打ち倒し、闘う労働組合を私たちの手に取り戻す決定的チャンスの到来です。まさに機は熟した≠ニいうことです。
橋下が掲げる「大阪都構想」とは、府・市丸ごとの民営化攻撃であり、「分限処分」によって首切りを乱発し、すべての労働者を一層の低賃金の非正規職に突き落としていくものです。「99%」の労働者人民を犠牲にして「1%」の資本家だけが肥え太る攻撃です。
維新の会のマニフェストでは、
@「大阪市民は、多額の借金を抱えさせられ、最貧困生活を強いられ、しかもその状況は日々悪化しているにもかかわらず、他方で、税金と借金で過剰な職員を抱え、職員を養っている」とデマをあおり立て、
A「能力とやる気のある職員にはその労に報いる必要があり、そうでない職員を市民の税金で養うことはできない」として、徹底的に公務員労働者を分断し、
B「これまで形骸化していた分限制度を見直し、組織改廃による場合も含め、分限制度の積極活用により、職員数を大幅削減」「職員数の約3割にあたる約12000人を削減する」として、公務員、とりわけ現業労働者への大量首切りを宣言しています。
Cそして具体的には、地下鉄・バス、水道、下水道、ゴミ処理、市立病院、港湾、市立大学、動物園・図書館・博物館・体育館、保育所・幼稚園・福祉施設などを丸ごと民営化・府市統合し、切り捨てようとしています。
教育も民営化のターゲットです。橋下は、私学助成を大幅カットする一方で私立高校の授業料を無償化し、府立高校の定員割れを意図的につくり出してきました。維新の会が提出している「教育基本条例案」には、3年連続で定員割れした高校の統廃合、民営化が盛り込まれています。
これらは日本経団連が『新成長戦略2011』で打ち出した「被災地と関西を突破口に道州制の実現を」の攻撃そのものです。まさに「復興特区」やTPP攻撃と完全に一体であり、資本家階級はこの「大阪都構想」を突破口に、道州制―民営化、公務員360万人首切り攻撃にうって出ようとしています。
今こそ大阪の地から労働者階級の本格的反撃に起ち上がる時がやってきました。
大阪市職をはじめとする労働組合は、闘うことを投げ捨てて「平松支持」に回り、現場の団結を何とかして破壊しようと動いてきました。「職員基本条例」「教育基本条例」への労働者の怒りを押さえこもうとしてきたのも組合執行部です。
これから間違いなく大量首切り攻撃が来ます。今こそ団結し、反撃を叩きつけるときです。労働運動を「民主党支援」「市長との労使協働」をするための組織であるかのようにゆがめ、「民営化も良い面がある」「すべての人員削減が悪いわけではない」などといって現場の怒りをつぶそうとしてきた組合執行部をこれ以上許せません。官も民も関係ない、私たち労働者はひとつです。資本家や当局とは相いれないし、闘わなければクビを切られるのです。
橋下の登場に対してある組合役員は、「橋下の当選は民意だ、民意に対して敵意をもって対応すべきじゃない。肉を切らせても骨を断たれないこと」などと言っています。闘う前から橋下に頭をたれ、「肉を切らせて」などと言って首切り攻撃に率先協力するこんな組合執行部を許すことはできません。
勝負はこれからです。そして職場の人員削減・合理化はとうに限界を超えています。労働組合を現場組合員の手に奪い返そう。
動労千葉は、外注化を10年間にわたって阻止し続け、青年労働者のJR体制への総反乱の突破口を切り開いています。国鉄闘争全国運動に合流し、民営化・外注化阻止、非正規職撤廃闘争を職場からつくりだそう。
エジプト・タハリール広場、米ウォール街占拠、欧州諸国のゼネストなど、労働者階級の巨万の行動が闘われています。橋下らによる新自由主義の極限的推進は、労働者階級の巨大な反撃を必ず呼び起こします。危機に陥っているのは資本家であり、民主党政権であり、橋下です。そしてこれによりかかって延命を図る連合本部など労働組合幹部です。公務員労働者こそ、すべての労働者の最先頭に立ってストライキで反撃しよう。
聞き手・構成 編集部
・1937年10月3日生まれ
・1962年3月 福島大学学芸学部卒業
・1962年10月 福島県公立学校教員
・1967年4月〜1971年3月 福島県教組東白川支部書記長
・1980年4月〜1992年3月 福島県教職員組合書記長(離籍専従)
・1992年4月〜1998年3月 福島県教職員組合中央執行委員長
・現 福島県退職教職員協議会会長
3・11福島集会への全国的連帯と支援を
学生時代に勤評闘争
日教組におけるストライキ闘争(以上本号掲載)
国鉄闘争全国運動呼びかけ人となった決意
国鉄・分割民営化に抗して
職場闘争をとおして連帯感、団結をつくる (2月号に掲載)
――まず3月11日に反原発の福島県民集会が呼びかけられました。この状況についてお聞かせ下さい。
3月11日午後1時から、福島県郡山市の開成山野球場を会場として確保しています。収容人員は2万人です。12月から呼びかけ人会議や平和フォーラムの会議等を経て、概要の決定や準備が始まっています。地元では、県民的な結集を図る予定ですが、ぜひとも全国的な位置付けが必要だと思います。
福島県民は、今に至るもなお、突如の「避難」と「離散」、先の見えない「忍耐」という生活基盤の崩壊の中で、行き場のない怒りに包まれています。このようななか、野田佳彦首相は、12月16日、東京電力福島第一原発事故に関して「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至ったと確認された」と表明しました。しかし、核燃料の回収まで20〜25年、廃炉作業の終了まで30〜40年と、一方で指摘されながら「収束」とは、福島の現実と県民の苦悩をも、まったく無視した無責任極まる発言であり、原発輸出表明に続く許せない犯罪的な行為です。あくまでも、歴代政府と東電、原発の推進にかかわった通産省−経産省官僚、総資本などの責任の追及を忘れてはならないと思います。
3・11集会が実現し、成功すれば、今後の運動の様相は大きく変わってくると思います。ぜひ全国的な連帯と、ご支援をお願いします。
――全力で応えていきたいと思います。さて昨年11月6日に日比谷野音で行われた全国労働者総決起集会で発言もされました。感想をお聞かせ下さい。
集会が終わって、稲葉三千男さんという方の話を思い出しましてね。彼は、東大の新聞研究所教授から、そのあと東京の東久留米市長をやって、もう亡くなられた方です。彼が日教組の有志の学習会などに来たときによく「運動にとってハードなコア、固い中心が絶対に必要なんだ。それがないと展望は生まれない」と強調していました。それを思い出して、動労千葉なり、あの集会がそういう役割を担っていることを感じました。
だから、少しでもいいから、ない力を出して頑張るより他ないなあと思っていました。
たくさん集めるというのは、そう簡単ではないと思います。けれども、これからの運動にとっては、ああいう結集を積み重ねることは絶対に必要ですよ。やっぱり地域の闘いも結局は全国的な連帯とか全国的な結集があって初めて生きてきて持続性が出てくるわけで。そういうふうに感じております。
発言ではドイツの人の話が、原発の問題があっただけに頑張っているんだなあという感じがしましたね。
――次の質問ですが、まず清野さんの日教組運動、労働運動前史についてお尋ねします。学生運動はやられていたわけですか。
私は56年に福島大学に入学しました。その頃は、私の感じで言うと、労働運動−学生運動が上り坂のときです。それから2年生ぐらいのときから自治会運動に参加し始め、副委員長をやりました。当時は共産党。みんなそうでしたから。それで清水丈夫くんなどもオルグに来ました。ずいぶんどやされて指導を受けました。ハハハ。卒業には6年かかった。
3年生のときに勤評(勤務評定)闘争がありました。福島県教組は力がないのに突出をして、10割休暇闘争。全一日の休暇闘争ですね。全員突入の予定だけどずいぶん傾斜しましたけどね。その後いわゆる福大闘争というのがありまして。9月が2学期の始まりで、ちょうど1カ月間、10月3日までほとんどストライキ。いわゆる最後の1週間は、校舎占拠ですね。バリケード。
もっとも学生運動なんてのは当時なかった時代です。共産党が六全協(※)でボケてて「歌えや踊れや」とやっていた頃ですから。9月3日から、デモもやったことがないのに、街頭デモが始まりました。でも全学連で砂川闘争に行っていたのが何人かおりましたから、それがデモについての講義をして、夜中にグラウンドに出て、ジグザグデモの曲げ方とか(笑)。それから本当に1カ月間で市街を制圧する力をつけました。
勤評闘争について思うのはいわゆる地域共闘が全国的に形成されたときですよね。地区労運動が地に着いたときです。労働者相互の結びつきが地域的に非常に強くなりました。地域闘争の地盤をならしたということになりますかね。そのうえに60年安保闘争が全国的に地域からつながっていったと思うんです。
(写真 勤評反対全国運動で文部省に座り込む日教組組合員【1959年9月8日】)
――教員になられてからの日教組の組合運動についてお聞かせ下さい。
前提的に福島県教組について触れておきたいことがあります。それは福島県教組というのは、社会党と共産党の激烈な抗争が水面下ではあるということです。勢力で言うと、16支部あるうち、支部の主導権は8対8なんです。昔は全面的に共産党系が強かった。
だからそういう点でいうと絶えず論争が盛んなところです。今でも本部専従は社会党系です。全面対立になりますから全部取ります。支部は固定的に8対8という状況です。
卒業して62年に教員になります。学生の時から県教組との結びつきは強かったです。学テ闘争(学力テスト反対闘争)の頃は、私は中学校でした。小学校と中学校の免許を持っているもんですから。今は珍しいと思いますが。小学校と中学校を行ったり来たりしてました。
日教組の組合運動は、職場があって地区があって。地区というのはだいたい町、町村単位。そのうえに支部。支部は郡市単位。支部には当時はすべて専従役員。今は違っていますけれども。書記長が主ですが専従役員がひとり。後は書記ですね。
私ははじめ東白川支部の専従書記長をやりました。67〜70年の4年間ですね。その後6年間は学校に戻って、その後、本部に来ます。77年から中執を3年、その後80年に書記長です。書記長は12年。92年から97年まで委員長です。
――印象に残っている闘いは何でしょう。
印象に残っている闘いは、やっぱりストライキでしょうね。賃金闘争です。日教組は賃金闘争に勤評闘争以後、傾斜しますから。もっとも賃金は安かったというのがありますけど。でもある意味でいえば路線転換ということになるでしょう。
ストライキは大変でしたけど、私が思うのは、なんて言ったらいいか、どういうふうに表現したらいいか。運動というのは、クセのつけようといったらいいのか。いっぺん踏ん切れば、あとはどんなことが来ても怖くないんですよね。そういうものだと思うんです。いっぺん経験した人はこれはやれる。だけどそのいっぺんがなかなか大変なんでしょ。
昔専従のときに、66年10・21ベトナム反戦のストライキがありました。スローガンにベトナム反戦を挙げました。10・21は福島の場合、逮捕までは出ませんでしたが、のちに人事委員会に提訴したのが1404名で、処分されたのが1301名でした。
その頃福島あたりで日常的には「宿日直」廃止の闘争がずっと続いていました。
支部が強いところでは校長・教頭を呼びつけてやる。当直拒否です。わりふっても無視するというやつです。指名ストみたいなものになりますけど。もう山ネコストライキと同じですよ。この闘いは80年代までずっと続きます。
これは県の問題というより、小中学校の場合は設置者が市町村ですから、市町村とのやりあいが大きい。だから早いところでは「代行員」制度なんていう形で時間で町が雇って宿直をさせる。
強い支部は校長が音を上げちゃって。しょうがねえなあということで早く廃止の方向が出た。今は機械警備が多い。あとは警備会社。いずれもそれは市町村で措置をしているわけです。
――その頃、清野さん自身はどのように日教組運動、現場の闘いを見ていましたか。
日教組で大きかったのは、ストライキをやって処分をされて、またストライキをやって処分を受けてという累積の問題です。処分者の救援制度がありましたから賃金カットをされればそれを補償し、昇級延伸といって延ばされるとそれを補償して。それがかさんでいきますから。そうして必然的にといったらいいのかどうかは別として、やっている方はたいていやっていけるんだけど、ストライキはできないけれど金だけ出すというところだけ出てくるわけです。金は取られる、出させられる。そのあいだの対立、ねじれが底流ではずっと進行していきますね。それは主流・反主流、社共関係なくです。結局、結論的に言うと、主流内部で亀裂が走っていく。右派と左派みたいな。
あと、日教組的にはどうしても中央の文部省の政策的色彩というのが非常に強いですから。統制が下まで及んでくるような恰好になっていますから。そういうものに対抗していくことが日常的にも中心になっていきます。だから現れ方は県によって違うんです。県独自の課題が出てくるんです。例えば北海道みたいに。どうしても文教政策批判が強い状況になります。そういう意味でいうと、労働運動というよりは色彩的には政治的な感じになるんですね。
だいたい1年をとおしてみると、まず春 闘があります。今は全然何もやらないけれど、あの頃は春闘に合わせて集会、学習会などはどんどん組織されました。声をかければ行くのが当たり前で。
そしてその次の大きな節目が人事院勧告です。7月ぐらいから春闘が終わった直後、人事院勧告。県段階では、9月から10月です。するとそこから年末にかけては確定闘争です。12月県議会で条例改正をすることになるんで、確定闘争というのがあります。福島県教組の場合は、二者共闘というのがありまして。県教組と県職労。これは9月から勧告が出る頃から。
すると今度11月末ぐらいから始まっていくのが人事闘争です。年度末人事。異動が出てきますから。それがなかなか大変なことで、支部の書記長にとっては一番大きな仕事でしょう。信任投票みたいな。みんなの希望をいかに実現できるのかということでなかなか大変な仕事になります。そんなことでやっぱり一年中課題が転がっていることになります。
(11月上旬に都内で行ったインタビュー原稿に加筆・補正をいただいたものです) (以下次号)
※六全協 1955年7月開催の日本共産党第6回全国協議会。武装闘争方針を放棄し、突然の路線転換を行った。それ以後の共産党主導の学生運動は、歌声運動∞勉学闘争∞奉仕活動≠フレクリエーション活動路線に切り替えられ、歌ってマルクス、踊ってレーニン≠ニ揶揄された。
NO.230 (2009年5月号)〜NO.249(2010年12月号) ※タイトル、筆者の表記は訂正・変更を加えているものがあります。
●NO.230(2009年5月号)
◇6・14全国集会から11月集会の画歴史的爆発へ 辻川慎一代表 ◇JPエクスプレス子会社化絶対反対で団結しよう! 全逓部会
◇4・25尼崎事故4周年弾劾全国集会基調富田益行5・27弾圧被告団長 ◇5・15全国青年労働者交流集会の呼びかけ ◇ちば合同労組 ◇イミョンバク政権と韓国労働者階級の攻防 広沢こう志
●NO・231(2009年6月号)
◇6・14―15連続闘争に全国から総決起を!
田中康宏動労千葉委員長 ◇法大「暴処法」弾圧粉砕! ◇東京労組交流センター自治体労働者部会/夏季一時金0.2カ月分カット粉砕! 関西労組交流センター ◇さいたまユニオン ◇日韓労働者シンポジウム ◇一陽会労働組合結成の意義について
●NO.232(2009年7月号)
◇8月ヒロシマ・ナガサキ反戦反核闘争 広島県労組交流センター ◇6・14−15連続闘争の高揚から11月労働者集会1万結集へ田中康宏動労千葉委員長 ◇6・15法大闘争は勝利した! 内田晶理(全学連
法大弾圧被告) ◇全逓部会 ◇みやぎ労組交流センター自治体労働者部会/千葉県労組交流センター自治体労働者部会 早房秀雄 ◇森精機・プレミア解雇撤回闘争が切り拓いた地平関合労大阪東部支部
長田徹 ◇国労上野支部 吉野元久 ◇北島邦彦 杉並区議会議員
●NO.234(2009年9月号)
◇自民党支配の崩壊を階級的労働運動の爆発的前進へ ◇労働組合を甦らせ、11月集会1万人の決起を実現しよう! 辻川慎一代表◇動労水戸 ◇民間交通運輸労働者部会(準)◇電機労働者部会 ◇金属労働者 ◇東京西部ユニオン委員長
吉本伸幸 ◇双龍自動車工場占拠ストが終結 広沢こう志
●NO.235(2009年10月号)
◇国労1047名解雇撤回! 派遣法撤廃! 闘う労働組合を甦らせ、11月1万結集を実現しよう! 田中康宏動労千葉委員長 ◇JP東京銀座支部の闘いの教訓 星野勝紀 ◇国労共闘
◇『動労千葉の訪米報告』を職場に持ち込み、11月1万結集を! 越川江美(千葉勤医労)◇新潟地域一般労働組合 ◇なんぶユニオン ◇9・26千葉県三里塚集会が230人の結集で大成功 千葉労組交流センター
●NO.236(2009年11月号)
◇11・1労働者集会でのアピール 動労千葉◇東京北部労組交流センター ◇教労部会 ◇社保庁解体=民営化=1000名解雇絶対反対闘争へ ◇全逓部会 ◇派遣法撤廃・非正規職撤廃闘争の階級的意義 東部ユニオン委員長
小泉義秀 ◇11・27無罪判決の戦取にむけて 富田益行5・27弾圧被告団長 ◇11・7〜8沖縄県民大会連続闘争へ
●NO.237(2009年12月号)
◇1万人結集を実現できる闘う労働組合運動を!! 田中康宏動労千葉委員長 ◇11・1労働者集会「国際連帯」の報告 ◇11・29日本年金機構労組結成絶対反対! 社保労2月下旬解散を許すな! 平口雅明(全国社保労広島県支部福山分会) ◇ワークフロンティア闘争の現状と課題 ◇鳩山・オバマ戦争会談粉砕! 星野勝紀 ◇国労5・27裁判 暴処法と共謀を完全粉砕した画期的勝利
●NO.238(2010年1月号)
◇国鉄闘争を基軸に道州制粉砕・春季ゼネスト情勢を切り開こう!! 辻川慎一代表 ◇5・27暴処法弾圧粉砕の力で、JR体制を打倒しよう 国労上野支部 吉野元久 ◇動労千葉国際連帯委員会
広沢こう志 ◇平口雅明◇「派遣村」攻防から1年 闘いの総括と決意 東部ユニオン執行委員長 小泉義秀 ◇全逓部会 ◇沖縄労組交流センター
●NO.239(2010年2月号)
◇反合理化・運転保安闘争路線の真価かけ2・13検修外注化阻止・全国闘争へ 田中康宏動労千葉委員長 ◇社会保険労働者525名の「分限免職」=解雇を撤回せよ! 平口雅明(社会保険庁分限免職者) ◇銀座局死亡事故徹底弾劾! 全逓部会 ◇郡山工場総合車両センターにおける車両検修外注化阻止の闘い国労郡山工場支部
橋本光一 ◇森精機闘争から1年、関合労の激闘 ◇大恐慌下の生産性向上運動=合理化攻撃を打ち砕く 金属労働者 山口弘宣 ◇日教組第59回教育研究全国集会アピール 教労部会
●NO.240(2010年3月号)
◇反合・運転保安闘争路線で外注化阻止の総反乱を作り出し、交流センターの強化・発展を!! 田中康宏代表 ◇イラク反戦7周年3・20集会へ 東京西部ユニオン
小林久志 ◇与党3党の「解決案」への「白紙委任」絶対反対! ◇豊中市職執行部を打倒し、現場の手に労働組合を! 北大阪労組交流センター自治体労働者部会 ◇広島連帯ユニオン ◇青年の一票決起で、賃下げ攻撃とたたかう指導部を! 三浦半島教育労働者部会
●NO.241(2010年4月号)
◇中野洋代表を追悼する 辻川慎一事務局長
◇国鉄・沖縄決戦で青年労働者の団結を組織し、交流センター運動の飛躍を! 星野勝紀副代表 ◇1047名闘争解体を許さず国鉄闘争勝利の大運動を!/田中康宏動労千葉委員長/国労秋田闘争団
小玉忠憲/動労西日本委員長 大江照己 ◇JR千葉鉄道サービス分会の結成と解雇撤回の闘いの開始 東部ユニオン委員長 小泉義秀 ◇尼崎事故弾劾!4・25全国総決起集会を! ◇4・28沖縄デー集会へ! 沖縄−本土をむすぶ労働組合連絡会 宮里勝博
●NO.242(2010年5月号)
◇中野代表の遺志を引き継ぎ、日本の労働運動の復権を誓う/田中康宏動労千葉委員長/高英男 関西生コン支部副委員長/中村吉政港合同副委員長/入江史郎代表 ◇5・15沖縄闘争で鳩山民主党・連合政権を打倒しよう! 沖縄労組交流センター ◇4・25尼崎事故弾劾5周年闘争基調 富田益行
5・27闘争弾圧被告団長 ◇国労小倉地区闘争団 羽廣憲◇合同労組かながわ 藤村浩光 ◇OVER REV連載第1回 東京西部ユニオン青年部長 小林久志 ◇辻川あつ子女性部事務局長 ◇高橋英行
岩崎電気労組前委員長
●NO.243(2010年6月号)
◇国鉄闘争全国運動で日本労働運動の歴史的転換を切り開こう! 辻川慎一事務局長 ◇われわれが、今こそ国鉄闘争の全責任を取る吉野元久 ◇8月人事院公開審理傍聴闘争(広島)に全国から結集しよう! 社会保険労働者の解雇撤回闘争を支援する会・広島事務局 ◇民間交運産別の〈反合理化・運転保安闘争〉路線と実践の開始 民間交通運輸労働者部会(準) ◇なんぶユニオン ◇反戦共同行動委員会の旗の下に闘おう! 反戦共同行動委員会事務局長
北島邦彦
●NO.244(2010年7月号)
◇6・13集会の成功を受け、まなじりを決して職場に団結と闘いを組織しよう 田中康宏動労千葉委員長 ◇8月ヒロシマ・ナガサキ反戦反核闘争へ 広島県労組交流センター
◇6・3〜10ブラジル労働運動との交流 動労千葉を支援する会・山本弘行事務局長に聞く ◇マツダ宇品工場事件に対する緊急アピール 広島連帯ユニオン ◇全逓部会 ◇公務員大量首切りの菅民主党政権打倒へ
●NO.245(2010年8月号)
◇座談会 神奈川労組交流センターの決意
◇「共に闘う国労の会」300名会員を実現し、国労の主流派へ 国労上野 吉野元久 ◇『団結速報グループ』の電子カルテ闘争 柳沢裕子常任運営委員 ◇自治体1000人会員実現へ! 自治体部会代表
佐藤賢一 ◇東京西部ユニオン ◇「しっかり仕事をするということが実力闘争」(上) 樫見一哉
●NO.246(2010年9月号)
◇労働組合をめぐる死闘の時代の階級決戦として11月労働者集会の勝利を牽引しよう!辻川慎一事務局長 ◇社保庁分限免職公開審理 ◇国労北奥羽連合分会書記長
今井誠 ◇西宮市職労で委員長選挙闘争に決起 自治体労働者部会 山本美知子 ◇NTT労組を打倒し、青年労働者の獲得を! 電通労働者部会 植野定雄 ◇合同・一般労組全国協結成 さいたまユニオン委員長
田畑典保
◇「しっかり仕事をするということが実力闘争」(下) 樫見一哉
●NO.247(2010年10月号)
◇9・11〜12第21回拡大全国運営委員会/田中康宏代表/辻川慎一事務局長 ◇首都圏の青年たちから「闘いの教訓」を学ぶ 千葉勤労組合員 越川江美 ◇国鉄決戦の現状と課題 東京南部労組交流センター ◇JR千葉鉄道サービス分会の闘い 東部ユニオン委員長
小泉義秀 ◇沖縄労組交流センター
◇UTLAの指導部会議大成功! 教労部会米山良江
●NO.248(2010年11月号)
◇11・13〜14横浜APEC粉砕全国闘争に決起しよう 反戦共同行動委員会 ◇9・28鉄運控訴審再開第1回と4者4団体、国労本部の状況 ◇「全国運動」によって労働運動の再生を 伊藤晃(国鉄闘争全国運動呼びかけ人) ◇派遣法「改正案」の反動性と派遣法撤廃闘争の階級的路線 合同・一般労組全国協議会事務局 ◇今こそ「組合権力を取り、維持し、行使する」闘いの前進へ 愛媛労組交流センター ◇沖縄−本土をむすぶ労働組合連絡会結成から新たな闘いへ 沖縄−本土をむすぶ労働組合連絡会
宮里勝博
●NO.249(2010年12月号)
◇2011年、国鉄闘争全国運動で勝負しよう田中康宏動労千葉委員長 ◇少数でも闘いを継続すれば、大きな闘いができる 高英男全日建関生支部副委員長 ◇G20粉砕・日韓共同闘争に参加して/国労秋田闘争団
小玉忠憲/山田和宏動労西日本副委員長 ◇関西合同労組北大阪支部大和分会 ◇橋下、平松打倒の階級決戦へ! 関西労組交流センター自治体部会、教労部会
(了)
関西労組交流センター 事務局次長 遠坂裕夫
12月11日、阿倍野市で関西労組交流センター第22回定期総会を110人の参加で行いました。基調報告は上村敏行事務局長、富田益行代表が行いました。
今回の総会の焦点は、2つです。
第1に、部落解放同盟全国連西郡支部の特別アピールと特別決議の採択で打ち出したように、12月1日の最高裁による岡邨洋西郡支部支部長、辻西幸子支部書記長、田中由加さん3名に対する住宅明け渡し裁判の上告棄却決定を弾劾し、12月22日の一日行動を突破口に明け渡し阻止の断固たる決戦に入るということです。
第2に、大阪労組交流センターの赤田由行代表が討論で提起したように、青年部準備会発足と青年部建設を関西労組交流センターの中心課題として会員全員で取り組むとしたことです。2・26関西青年労働者春闘集会を全力で成功させるということです。
討論では、議案書で書かれた「職場闘争の壁は自分自身の中にある」「時代認識と路線で勝負するとは、自分自身が、どこそこの職場や産別の代表ではなく、労働者階級全体の指導部になっていくということである」という部分をめぐって、職場での苦闘をそれぞれが出し合い徹底議論しました。
とりわけ、赤田大阪交流センター代表から大阪維新の会・橋下・松井体制打倒の職場闘争の報告が生き生きと行われ、「橋下・松井の登場は体制内指導部の破産を突き出し組合権力奪取の決定的チャンスだ」ということをはっきりさせました。教育労働者部会の仲間から2・3大阪府庁前行動の行動方針が提起されました。
新体制を確立し、相川文男京滋交流センター事務局長の討論のまとめの後、団結ガンバローを行い、総会を意気高く打ちぬきました。
●読者のページに投稿を
読者の皆さん! 投稿をお願いします。強制するページではなく自主的に決起するところです。
あけましておめでとうございます。「革命の歴史は・・・大衆が自分自身の運命を左右する領域に力づくで介入する歴史である」(トロツキー)ことを日々実感します(う)
青蝠烽ウん(みやぎ連帯ユニオン副委員長)が震災を口実としたタクシー会社けやき交通による不当解雇を撤回させ、原職復帰をかちとった。4月解雇通知から7カ月、解雇無効の仮処分を訴え、闘って闘って闘いぬいてもぎり取った勝利だ。
日比谷野外音楽堂で、「がんばろう ! さようなら原発1000万署名」集会が開催された。集会は福島の声を踏みにじる暴挙への怒りで覆われ、NAZENも参加者の一翼を担ってデモを貫徹。原発再稼働阻止、全原発廃炉への決意を一層固めた。
北米西海岸の全港湾封鎖の同日、交流センターは、動労千葉などとともに青山の伊藤忠本社へ弾劾行動を展開。伊藤忠が米穀物商社バンジー社などとEGTを作り、暴力団・警備会社を使ったILWU破壊を行っていることを弾劾した。